アバ(ABBA)は世界的なダンシング・クイーンなどヒット曲を出したことで知られるスエーデンが生んだミュージシャンで4人グループです。そんなアバについて少し調べてみましたので参考になれば幸いです。
アバ(ABBA)は、世界的なヒット曲を出したことで知られるスエーデンが生んだミュージシャンでメンバーは、ビョルン・ウルヴァース(ギター)、ベニー・アンダーソン(ピアノ)、アグネタ・フォルツコグ(ヴォーカル)、フリーダ(アンニ・フリード)・リングスタッド(ヴォーカル)の男女4人組です。アバの実働期間は1974年から1982年までの約8年間です。その間でアバ(ABBA)は、シングル、アルバムをあわせて2億5千万枚以上を売り上げるなどとても信じられないような記録を残しています。アバ(ABBA)は「ポップ・ミュージックの完成者」とも呼ばれていました。グループ名は元々、「Bjorn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前でしたが、マネジャーが書類に名前を記入する際に、適当にイニシャルを並べ「ABBA」書いたのが切っ掛けでグループ名となりました。ビヨルンとベニーがポップな曲を作り、アグネタとフリーダの女性二人が魅力的な歌を歌う。アバ(ABBA)は、スエーデン初の世界的に大成功させたグループです。
アバ(ABBA)は、1970年6月にビルヨンとベニーがともに作った曲をアグネタとフリーダが初めてコーラスで参加したのが始まりで、当時はビヨルン、ベニー、アグネタ・アンド・アンニ・フリードというグループ名でした。その曲は、ヘイ・ギャムレ・マンです。その後1972年に初めてのレコード「ピープル・ニード・ラヴ」をリリースしました。1974年にアバ(ABBA)となり、同年4月に開催されたユーロヴィジョン ・ソング・コンテスト(イギリス・ブライトン)で「恋のウォータールー」でエントリーしてグランプリに輝きアバ(ABBA)は一躍スターダムにつきました。1975年「S.O.S」がイギリスで大ヒットに続き、「ママ・ミア」もイギリスとオーストラリアで大ヒット。そして1973年「ダンシング・クイーン」が全米で大ヒット見事に第1位に輝き、その後出す曲がすべてヒットし、アバ(ABBA)は、世界的なスターとなりました。特にオーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域です。映画「ABBA The Movie」もオーストラリアが舞台となっています。
アバ(ABBA)の代表曲を紹介しておきます。ABBAの曲を昔聴いたことがある方なら、見るだけで「ああ、これか」と思い出すほど大ヒット曲ばかりです。リング・リング〜木枯らしの少女(RING RING)は1973年リリースされました。大ヒット曲の木枯らしの少女が入ったアバ(ABBA)初期のアルバムです。恋のウォータールー(WATERLOO)は、1974年リリースされました。このアルバムに収録されている恋のウォータールーは、ユーロヴィジョン ・ソング・コンテストグランプリ受賞曲です。アバ(ABBA)のデビュー当時のアルバムです。アバ(ABBA)は、1975年リリースです。このアルバムはアバ(ABBA)の日本での人気を決定づけたものといえるでしょう。「S.O.S.」「ママ・ミア」も収録。アライバル(ARRIVAL)は1976年リリース、ジ・アルバム(THE ALBUM)1977年リリース、ヴーレ・ヴー(VOULEZ-VOUS)1979年リリース、スーパー・トゥルーパー(SUPER TROUPER)1980年リリース、ザ・ヴィジターズ(THE VISITORS)1981年リリースなど。